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“文学少女”シリーズ:文学への入り口になりうるライトノベル

夏コミの頃から読み始めていた野村美月先生の“文学少女”シリーズを読み終わったのでなんとなく備忘録的に感想など。

文学作品をネタ本にするという英断

“文学少女”シリーズというのは、本を―――物語が描かれた原稿用紙を―――紙ごと食べる遠子先輩と、文芸部の後輩で語り部たる井上心葉の物語です。
このシリーズの最大の特徴はなんといっても「実在の文学小説」をネタ本にして、その小説の筋をなぞりながら、あるいはその小説にキャラクターたちが強い影響を受けながら進んでいく―――というものです。
これはとてもすごいことだと思うのです。何よりも作者自身がネタ本にする文学作品をきちんと読み込んでいないといけないのです。その上で、その文学作品をミスリードとして使ったり、あるいはキャラクターに大いに影響を与える存在として描く訳ですが、それを行うためにはさらに作者なりの解釈を入れて、それを前提としてキャラクターなりの解釈を描かないといけないわけです。
とても簡単なことではないと思います。
でも、それができている。これは本当にすごいことだと思います。この形式をやろうと思ったこと、そして始めたというのは大英断で、その上で本編を完結させたというのはすごいと素直に思います。

軽妙な語り口が読みやすさを呼ぶ

基本的に主人公・井上心葉の語りで進みますが、時にネタ本からの引用だったり、キャラクターの誰かの文章や心情が一人称で語られてたりします。ネタ本の引用部はもちろん読みにくかったりもするのですが、ほとんどが軽妙な語りで占められていてかなり読みやすいように感じました。それが全体の読みやすさにつながって、物語やキャラクターたちを追いかけやすくなっていると思います。
そして読みやすいからこそ結末にたどり着き、そしてその結末のあとで残るものは―――ネタ本への興味なのです。

ネタとなった本への興味がわく→文学への入り口へ

キャラクターの独白がネタ本“っぽく”書かれたりもしていることもあって、読後にネタとなった文学作品への興味が残りやすい作品だと思います。野村美月という作家はある作品をこのように解釈して描いたけれども、自分が読んだらどう感じるのだろうか―――?そんな興味を抱かすことができるのがこのシリーズの魅力なのではないでしょうか?
太宰の「人間失格」から始まり、「嵐が丘」、「友情」、「オペラ座の怪人」、「銀河鉄道の夜」、「狭き門」…。あたしも知ってる作品、読んだことある作品、知らない作品とありましたが、どれもが読みたくなる、そんな作品でした。

心葉の成長物語

もちろん文学作品がネタ本として下敷きにあるだけのお話ではありません。シリーズは、様々なキャラクターのお話が絡み合いながら、シリーズを通して描かれるものは主人公の心葉の成長です。高校入学当初は自分の殻に閉じこもっていた心葉が、遠子先輩という存在によって徐々に成長していく―――そんな優しい物語が、この“文学少女”シリーズだとあたしは思っています。

本編が完結した今*1、遠子先輩と一緒に、過去の名作をゆっくり読んでみませんか―――?

”文学少女”と飢え渇く幽霊 (ファミ通文庫)

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“文学少女”と繋がれた愚者 (ファミ通文庫)

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“文学少女”と慟哭の巡礼者 (ファミ通文庫)

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“文学少女”と月花を孕く水妖 (ファミ通文庫)

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*1:といっても先月ですが