「死なないラインハルト」—十二国記初稿の報に寄せて
今週、衝撃的なニュースがありました。
十二国記の新作が、長篇が、舞台が戴の物語が、2019年に刊行されるというのです。
「十二国記の日」に、嬉しいお知らせがあります。新作の第一稿が届きました!
— 小野不由美「十二国記」/新潮社公式 (@12koku_shincho) 2018年12月12日
長年にわたりお待ちいただいた作品は、400字で約2500枚の大巨編になりました。物語の舞台は戴国です──。小野先生の作家生活30周年にあたる今年、このような大作を執筆いただいたことに心より感謝します。
これからお原稿の手直し、イラストの準備など本づくりが始まります。発売日はまだ決定しておりませんが、来年2019年に刊行されることは間違いありません。今後とも詳しい情報を順次ご案内できるよう邁進いたします。引き続きご支援賜れますようお願い申し上げます。 2018年12月12日 スタッフ一同
— 小野不由美「十二国記」/新潮社公式 (@12koku_shincho) 2018年12月12日
めちゃめちゃ嬉しいのですが、その結果10年ほど前に書いたエントリが地味に読まれているようです。
kiyolive.hatenablog.com
うちのブログではもっとも息の長いエントリだと思います。個人的には悔いもありますが。それはそれとして、この時の概略は、「銀英伝の9巻の解説で小野不由美が『死なないラインハルト』という思考実験をして、その結果生まれたのが「十二国記』だよ」というものです。
あの頃は朧げな記憶ですし、最初に収録された「銀英伝」の9巻は当時でもすでに絶版でしたが、今はそれが収録された「銀河英雄伝説事典」が手元にあります。
- 作者: 田中芳樹,らいとすたっふ
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2018/03/22
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「 死なないラインハルト」とはなんだったのか
「銀河英雄伝説」の正伝においては、ラインハルトは「欠点はあるが、有能な君主」として描かれています。早死しますが。「もっと長生きしてしていたら、銀河帝国に一体どのような改革があって、どのような変化があったのか」というのは、壮大なifでありますが、おそらくユリアンの民主主義政治家としての道のりはより困難となったであろうということは割と予想しやすいところです。国民としては、有能な君主がちゃんと決めて、自分の生活も良くなるわけですから、わざわざ選挙で自分の代表を選ぶとかはどうでもいい。わかる。それではいかんというのが、普通に銀英伝を読んでいた読者にとってはヤンであり、その思想を受け継ぐユリアンであります。
しかし、小野不由美は銀英伝9巻の解説において、こう説きました。
ラインハルトとヤンを対置させるのは決して間違っていないのだが、同時にこれは専制君主制と民主制の二つの制度の戦いであって、ならば帝国の首長であるラインハルトと、同盟の首長であるトリューニヒトを対置させることも決して不当ではないと思う。
銀河英雄伝説事典(創元SF文庫) p359
そう言われればその通りだ、と思うわけです。ヤンは結局一度も政治のトップに立たなかったし立ちたくもなかった、なりたくてなったラインハルトとは根本的に異なる、と。ならば相手はトリューニヒトとなるのは、あれだけ作中で嫌われながらも長く生き残った嗅覚の鋭い政治家はいませんでしたから、納得のいく話です。そして、ラインハルトとトリューニヒトのどちらを選ぶのかというところから、ラインハルトを選んだ唯一のお方について書かれます。
ラインハルトの後を継ぐ者がラインハルトのようであるという保証はないのだが、それでもいいのか、と訊くと、この某ミステリ作家は、「じゃあ、ぼくは死なないラインハルトがいい」と無茶なことを答えた。
銀河英雄伝説事典(創元SF文庫) p361
これが「死なないラインハルト」のスタートであり、この言葉の力たるや半端ないです。よくまあ思いつくなあ、さすが綾辻せんせと根拠もなく思ってたら、ご本人が最近おっしゃっていました。
そういえば。
— 綾辻行人 (@ayatsujiyukito) 2018年12月13日
むかし自分が「死なないラインハルトがいい」と云ったときの状況は何となく憶えているのだが、それが王と麒麟のシステムを生むヒントになろうとはもちろん、その時点では思いもしなかったことである。第一に偉いのはやはり田中芳樹さん。
ですよねー。
ともあれ、これをきっかけにして「死なない名君が治める世界は本当に幸せか」という思考を突き詰めていったのが『十二国記』でありました。
人を救うのは
こういった前段を考えると、十二国記の、特に陽子の物語が『黄昏の岸 暁の天』で毛色を一気に変えてくるのがわかるのではないかと思います。『風の万里、黎明の空』までは、陽子が王として歩き始めるまでが描かれていますので、「天」—言い方を変えれば「神」—に対して何かを考えるまでには辿りつきません。そこにあるのは、王という立場に対して悩みつつ日々を必死に過ごすという物語です。それが
『黄昏の岸 暁の天』になると、戴のことを考えることをきっかけに世界のシステムに対する疑念を明快に述べるようになり、その解を提示するようになります。この解こそが、「ラインハルトなのか、トリューニヒトなのか」という小野不由美の疑問に対して、小野不由美が出した答えに他なりません。すなわち、「人を救うのは、人でしかない」—天に保証された「死なないラインハルト」は、人を救わない、つまり、皆が幸せにはならない、ということです。
作品に触発されて産まれた作品が答えを示すというこの部分が、個人的に十二国記で一番好きなところで、作品として一番強いところだと思います。シリーズの中で陽子の対比として『図南の翼』があるあたりがまたnice!ですが。だからこそ、暗雲しか見えない、天が見放したとも言える戴という国がどうなっていくのかということが多くの読者の心を掴み続けてきたのだと思いますし、結果18年という長い時間が経ってのこのニュースに歓喜する声があがるのだと思います。
とても期待しています。人を救うのは人でしかないならば、きっと戴の物語の中に、戴の民と、そして泰麒の救いがあるのだと信じて。