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「ハヤテのごとく!大研究」レビュー:ネット上に考察サイトが存在する作品の謎本は難しい。

謎本(なぞぼん)は漫画・アニメ・テレビドラマ・小説といったフィクション作品内の謎や疑問に対する考察を行う本のジャンルである。

謎本 - Wikipedia

「磯野家の謎」が大ヒットとなったことで大きく広がった謎本というジャンルがあります。以来、人気のあるマンガの多くでこの「○○の謎」とか「○○の秘密」といった本が出版されるようになりました。
ハヤテのごとく!においても昨年「『ハヤテのごとく!』の秘密」という本が出版されましたが、1年たってその続刊が刊行されました。

『ハヤテのごとく!』大研究

『ハヤテのごとく!』大研究

ということでレビューしていきたいと思います。感想を書いていて、かつネット上の感想や考察を読み歩いている人間の視点であることをご注意いただいてお読みください。

読み込みが浅いんじゃないか、と思ってしまう

作品世界研究、ハヤテについての研究、三千院家についての研究…と、おおむね前作「『ハヤテのごとく!』の秘密」に倣った順番で様々なネタや考察が書かれている本書ですが、読んでいると「ん?」と思う瞬間にどうしても出くわしてしまいました。
たとえば、「親に捨てられた過去を持つハヤテとヒナギクの共通点と相違点」という項があるのですが、この項で雪路に触れないというのはおかしいとあたしは思うのですよ。借金を押しつけて失踪した両親がいるという共通点ではありますが、本当に比較するならばヒナギクではなくて雪路と比較するものではないでしょうか?それは、おそらくヒナギクは借金返済の当事者ではないからだと思うのです。ヒナギク自身も語っていますが、借金は雪路が返したのです*1。だからこそ、共通点や相違点というのはハヤテと雪路で対比するものだと思うのですが、本文において雪路という名前はヒナギクの両親の性格について考えるくだりでしか出てこないというのはどうなんだろうか、と思ったりしたのでした。
あるいは、やはり雪路になりますが、「あの雪路に8千万の借金をなんとかすることがよくできたものだ」という項では、「現在の雪路を見ているととてもそうは思えない」ということに力が注がれているのがよくわかるのですが、165話*2において薫先生が高校時代の雪路について「バカなのは今と変わらないけど、明るく元気で思いきりがよく…見た目だって悪くなかったからまさにクラスの人気者の…」と語り、付け加えて「なので現在の妹が当時のあいつに近いわけだが…」と語っていることを考えると、今のダメ人間とは違うというのが伝わってくるのですが、それがまったく考慮されていない*3というのが気になったり。
ただ、そう感じるものがある一方で「暗い部屋が苦手な恐がりのくせに殺し屋に襲われても結構冷静なナギ」とか、「牧村志織は速読をマスターしているのか?」とかはおもしろかったですし、「日比野文とハヤテの接点 そして、そこから考察されること」という項については、バックステージの記述もあわせてすっかり見落としていたところだったので非常に助かりました。

出版のタイミングが悪かったなあと思ってしまう

仕方がないことではあるとわかっているのですが、残念だったなと感じるのです。ちょうど先週、178話からハヤテの過去編が始まり、アーたんが出てきました。そしてこの本には「ハヤテの意味深な言葉『二度目はないんですよ、二度目は』」という項目があって、ハヤテとハヤテの親の過去について考察されています。
惜しい!惜しいよ!!とあたしは思わずにはいられませんでした。この本には173話までのサブタイトル元ネタ解析が載っているので、〆切がその辺(およそ6週前)だったことが伺えます。たった6週、されど6週。せめて、発売が178話の前だったら。あるいは、過去編中盤にさしかかるか過去編が終わっている頃だったら…。巡り合わせが悪かったなあと思うことしばしでした。

なんかハヤテブログ界隈もネタになっている

最後の方に「ハヤテの兄が誰かということにファンの興味が集まっていたが…」という項目がありまして。で、

ネットを見ていると、各ファンの様々な推測が書き込まれているが……このファンたちの興味が、いったいハヤテの兄は誰なのかということに集まっていく様子を見ていて、ちょっと『20世紀少年』に似てきちゃったかなと私は思った。
20世紀少年』では、「謎の人物=”ともだち”の正体が誰なのか?」という一点に興味・関心が集中したのだが―― ハヤテの兄が誰なのかに読者の興味が集まる様子が、それに似ているように思えたのだ。
ハヤテのごとく!」大研究 p207-208

などと書かれたりしていてちょっと笑ってしまいました。あれは、単行本のおまけを除いた作中で初めてハヤテに兄がいることが明かされたよ!というので盛り上がったんだったなあと懐かしい気持ちに浸ってしまいましたが、つまりこの「ハヤテのごとく!研究会」の中の人はうちもご覧になっているということなのかな!ありがとうございます。

感想や考察がネットで盛んに書かれるタイプの作品は、謎本に向かないのでは?

前作「『ハヤテのごとく!』の秘密」の時にも思いましたが、やはり感想や考察がネット上で盛んに書かれる作品の謎本は向かないのではないか、というのが、今作を読んで最初に思ったことでした。
様々なブログも読まれているであろうことが本文中からも容易に推測できるのですが*4、そういったサイトと可能な限りネタかぶりを排除したというのが伝わってくるのですが、その分余計に重箱の隅をつついていますという感じを受けてしまいます。
また、前述したように読み込みが足らないと感じられる部分も結構あるので、特に感想を書いている人や感想サイトをよく読まれるような人には物足りなく感じられるのではないか、と思いました。
謎本の黎明期はさておき、その作品がかなり好きな人が読むのが謎本なのではないかと思います。そしてそういう人は、感想サイトを見ている人とイコールになりがちなのではないでしょうか?そう考えたとき、ネット上ですぐ読める上即応性もある様々な考察と、1000円で購入する謎本、どちらに人が集まりやすいでしょうか?

もちろん謎本を読む人・読みたい人とネットで感想サイトを見る人がイコールになるわけではありません。ですが「磯野家の謎」が大ヒットした頃のように、そういった考察を行っている人や物がさほど身近でなかった頃と比べると、今はネットによってで気軽に参照したり書く側に回ることができるようになりました。小学生がブログを持っててもおかしくない時代です。そういった中で、特にも活発に考察されるような作品の「謎本」はネタかぶりの可能性も高く、ツッコミを受けやすいのが明かです。

謎本」の登場からおよそ15年。そろそろ謎本のあり方について考え直すときなのではないでしょうか?

*1:第98話(10巻2話)「THE HEADY FEELING OF FREEDOM」参照。

*2:「オタクの迷い道」

*3:でもこの項で雪路の年収の推測にこの話が使われている

*4:「早速、この件を追及されてきたような方たちにとっては今更なネタだったでしょうかね……。」(p81)、「ま……この補ネオ読んでくださっているような方なら、この件についてご存じだった方が多いだろうけれどもね……。」(p206)などの表現が理由です