明日はきっと。

本やマンガのレビューなど。

まんが家バックステージにまつわる”甘え”の構図

状況が変化するまでは書くまいと思っていたのですが…。どうしても納得できないことがあったのでテキストとしてうp。

1発ネタの投下回

今週のハヤテは薫先生と雪路のイタリア珍道中回でしたが、なんと背景が草津。しかもそれをアニメ風に言うところのナレーションで説明するという手法です。ナレーションで背景取材をネタにするのはラスベガスの時にもやられていたように思いますが、今回は登場するキャラクターはイタリアのつもりなのに背景はすべて草津という1話まるまるネタ回でありました。

最初読んだときは一体何を考えているのだろうかと、というかこれはあまりにもひどいだろうと思ったのですが、まんが家バックステージを見て「ああ、そうだったんですか。」というところまで落ち着いたのです。

まんが家バックステージという”甘え”

ですが、その、「バックステージを見て」というところに大いに問題があるとあたしは思います。バックステージにおいて畑先生は

今回の話を読んで
わー、本当に手を抜いたんだー、と思われたなら
それはとっても辛いのです。

畑先生バックステージVol.242

と書かれていますが、正直言ってこれは手抜きと思われても仕方がない。というより、そもそもこのミスマッチネタ、あたしにはとてもおもしろいとはとても思えない。混乱するだけです。「ちょwwwおまwwwwwwww」で済ませるにはちょっと度を超しているように思います。
そんなこれをネタなんですよ〜、暖めていたネタなんですよ〜、と説明しているのが今回のバックステージなのですが、バックステージを見ることができない人もいるのです。本来としては、本編外であったとしても、紙面でやるべき内容であると思うし、そもそもそういう説明(ある種の言い訳)は無粋なのではないかと、そう思うのです。
久米田先生が「ギャグは対象が狭ければ狭いほどおもしろい」というのを引き継いでいる面があるハヤテですが、今回は対象を絞る云々の前の問題です。そしてそれを、「バックステージで説明してしまう」というところがさらに問題だと思います。

なんだか、バックステージがある種の言い訳の場になってるような気がするのです。
「多くの読者がバックステージを見ている」という前提のもとに作られているような気がするのです。
「説明不足はバックステージである程度補える」という甘えがあるように思えるのです。

バックステージの最後は蛇足にもほどがある。

もともとバックステージのネタバレは畑先生が始めたサービスであったわけで、その記述自体ある意味蛇足ではあります。ネタの説明とか、あるいは新キャラの情報とか、設定とか。伏線貼りまくりましたみたとか。
ですが、今週のバックステージはちょっと目に余るように思います。
今週のバックステージの最後で、畑先生は今回の最終ページについて次のように書きました。

ちなみに今週のラストで
雪路が城について色々言ってますが
あれは王族の庭城の事ではなく単なる比喩表現。
ぶっちゃけカバーアルバムにも収録させていただいた
マハラジャになりたい!』からのインスパイアです。
「黄金の城」というのはこの漫画を象徴する言葉の一つだと思っているので。

畑先生バックステージVol.242

究極の蛇足ですよ。いらんこと言うなですよ。

今週ラストの雪路の城に関するセリフによってこれまでのハヤテを読んでいる人の多くが「王族の庭城」のことを想起すると思います。しかし、考えてみれば、もともと桂姉妹の借金返済は別の物語であること、その借金返済も雪路がなんとかしたということをふまえれば、比喩表現だって気づくと思うんですよ。もし気づかないとしても、関係ないことが明らかになったときに「あ、そうだったのか!」という驚きがそこには残ります。
今回の記述は、それを奪っている――そう思います。
特に今回、雪路のセリフが意味深でかつ示唆に富むものだっただけに、興ざめ感をよりかき立てられた気がします。

バックステージに甘えるブログ

もっとも、バックステージへの甘えとその弊害は、ハヤテ関連のブログにこそ指摘されるべきものだと思います。
自戒をこめて言えば、ハヤテブログの考察の下支えにバックステージは不可欠なものです。本来明らかにされないものがバックステージで明らかにされているからこそ、ハヤテブログは活発になれたのではないかと思うこともあります。
それが故、バックステージを読んでいることが大前提に来る記事が来る。*1バックステージを読んでない人を拒否まではいかなくとも、バックステージを読んでいないといけない圧力はあるでしょう。*2
バックステージがあることで読者に可能になった考察は多々ありますが、しかしバックステージによって既定のこととされそれ以上の読みが難しくなったものも多いと思います。*3バックステージに書かれたことによって、そこで思考を停止してしまうことだってありますし、バックステージに書かれることに甘えてしまうことだってある、それが通常あり得ないことなのに。


「読み」は作者から提示されたものがすべてだとは思いません。「読み」は作者だけではなく、一人一人の読者の中にある。
あたしはそう思います。読んだ人それぞれの経験や体験があるからこそ、作者の提示した「読み」を読み取った上でそれ以外の読み取りをすることができる。そしてそれを阻害するものはないのだと思います。
ブログやサイトもうそう。あくまでもその人の「読み」であってそれがすべてではなく、それぞれにそれぞれの読み方があるのです。当たり外れもありますけれども。連載という形式においては当たり外ればかりですが。

たまには情報を絞るのもいいんじゃないでしょうか。

まんが家バックステージでネタバレする畑先生の手法が決して悪いとは思いません。でも、ちょっと種明かししすぎだと、そう感じます。
先日のエントリについて、グレパンさんが

そして現在、ハヤテの場合は、ロイヤル・ガーデンの場所(鍵も(ガーデン・ゲート、王玉他)が『読者』には大体分かってしまっている上に、ソレが核心に近いだろうと予測されてしまってます(紫子関連)。
そして、この状態でも、ハヤテは受け身であり、物語を動かそうとしないんです!
ストレスが溜まって仕方ないッスよ(苦笑)。

ギャルゲのコミカライズが大概、面白くない理由 : ヒナギクさんちの晩ご飯

とおっしゃっていました。
過去編が終わり、そこまでに与えられた情報によって、物語が今にも大きく展開しそうだと感じていました。しかし、物語は加速するどころか減速した――ラスベガス編やゴールデンウィーク全般に係わるハヤテへの不満はそのあたりに集約されそうですが、その”物語展開圧力”というべきものを作り上げたのはバックステージに他ならなかったのではないかと思います。
たまにはバックステージの情報を絞って、読者の想像の幅をさらに広げるのもよいのではないでしょうか?

*1:誰とは言いませんが昔のあたしです。

*2:誰とは言わなくてもうちのブログのことです。

*3:あたし自身かなりバックステージの記述に縛られていると思いますし。