「ハヤテのごとく!」はようやく「綾崎ハヤテの物語」になる
今週249回目がサンデーに掲載された「ハヤテのごとく!」。いろいろと思うところがあって、ゴールデンウィーク編が終わるまでは書かないことにしようと思っていたのですが、今日お昼に某大手の人とtwitterで話していたらなんだか記事にできそうだったので書いてみようかと思う次第。
キング・ミダスによるアテネ免責の構図
まずはここ最近気になったことに対する思考のまとめ、ということで1点。
ハヤテがアテネと対面し、キング・ミダスが前面に出てきた時*1にもっとも懸念したことというのが、「アテネが免責される」ということです。つまり、
「アテネがたとえ何をしでかしたとしても(それがハヤテの死ということだったとしても)、すべてミダスのせいになり、アテネには何の責任も生じない」
ということです。本来、王玉や王族の庭城に関わる事柄は追い求めてきたアテネ自身に責があり、その責から生じた事柄に対して物語上責任を取っていくことが求められます。しかし、キング・ミダスが「憑依している」ことで、その責任のほとんどをミダスを悪者にするだけで解決できてしまう。これはよろしくない、というのが非常に気になっているところでした。
しかし前回、
「つまり、彼女の言っていた「石を手に入れる」という共通の目的が強い二人の合意となり」
週刊少年サンデー50号 p195
伊澄がこのような発言をしたことで、アテネ自身も石を欲していたと推定されることが明らかになり、アテネが完全に免責されるわけではないことはないと言えます。実際、ブロガーの中でも
ここでアテネ自身も石が必要なことが示されたわけで、「ミダスのせい」で終わる心配はそれほどなくなったような気がしないでもないです。「合意」したことも含めてアテネの責任です。
「ハヤテのごとく!」世界\(^o^)/オワタ - ぷらずまだっしゅ!
というような論調が見受けられました。
ですが、ミダスが出てきている間のアテネはまったく別人格のように見えることからして、記憶がない、あるいは自分が望んでいたことではないということでまだ構造上アテネが免責されている点に含みが残っているのではないかと思います。
というこれまで持っていた疑問について書いた上で今週のハヤテのごとく!第249話を見ていきたいと思います。
ようやくやってきた「主人公が決める」とき
今週の「ハヤテのごとく!」を3行でまとめれば、それは
Q.あなたは、次のどちらを選びますか?ただし、制限時間は1日とします。
1 1億5千万の借金を肩代わりしてくれた上に自分を雇ってくれ、仕えてきたナギ
2 幼少の頃好きだったけど別れてしまったアテネ
ということでしょう。どちらかを選べばどちらかを失う、そういう選択です。ナギを選べばアテネはミダスと融合し、過去を失い違う何者かになるだろうし、アテネを選べばナギは三千院家の後継者としての資格を失い、おそらく路頭に迷う。そういった選択を帝が、そして伊澄がハヤテに迫るという話でした。
これまで流されるままに、そして目的が常に与えられてきた綾崎ハヤテという少年が、約250回という長い経緯を経て、ようやく、ようやく「選択する」機会を得た――そう思いました。
もちろん、この選択にも疑問はあります。そもそもこの選択は帝が出したものですし、どうやら一時期ハヤテの心の支えになっていたあのサンタクロース*2が帝であることが今回明らかになっており、今のハヤテの状況そのものが三千院帝という人間によって作られたものである可能性さえありますし、いくらなんでも一介の執事に対して孫の一生を決める選択を迫る*3にはちょっとどうかというものです。
しかし、これまで主人公たる綾崎ハヤテが「選択しなければならない」という環境が整えられたことそのことが、ようやく綾崎ハヤテの物語が始まるというそういう実感に変わり、ちょっとうれしかったところです。
ギャルゲ的価値観から少年マンガ的価値観への転換点
今回ハヤテに提示された選択肢は、「こっちを選べばあっちが立たず、あっちを立てればこっちが立たない」ものです。そしてどちらかを選ばなければこの先進めない、そう思える選択肢でもあります。
ですが、ハヤテがこのままどちらかを選んだとすれば、物語はギャルゲのように、そのままどちらかに主軸を移して語られることになるでしょう。
この、「どちらかを選ぶ」というものをギャルゲ的価値観だとすれば、今回のハヤテの選択によっては、少年マンガ的な価値観に変わっていくのではないかと思うのです。
それは「スケール勝ち」することです。
スケール勝ちについてはいずみのさんの記事やペトロニウスさんの記事を読んでいただくのがいいと思うんですが、
悪役に
「超鈴音編を少年漫画のワクに落とし込むには?」第一部
「二つの命があるとして、一つだけ救えるとしたらどっちを選ぶ?」
って言われて
「俺は両方を救ってみせる!」って言うのが
主人公であると(笑)
という価値観のもとで読もうとしたときに、今がまさにその「両方」と言ってみせるタイミングなのだと思うのです。
今回のハヤテでいえば、「ナギかアテネのどちらかを選べ」という命題を突きつけてきた帝と伊澄に対して、「僕は両方とも救う!」とハヤテ自身が言うことができるタイミングであると、そう思うわけです。そして、それをなす事ができるかどうかが来週以降の「ハヤテのごとく!」のポイントになってくると思います。
すなわち、今出ている選択肢以外の選択をすることができるかどうかということなのではないでしょうか。
また、伊澄はハヤテを「ヒーロー」と目していますし*4、そういった意味でもこれまで主人公性を主に天然ジゴロ的な面でしか発揮してこなかったハヤテにとって重要な局面であると思います。
ここで新たな選択肢を見つけ出し、決断することこそが、ここまでおよそ50回、丸一年かけて続いてきたゴールデンウィーク編のラストを飾り、物語の歯車が回る一歩としてふさわしいと考えます。
これまで、ただ毎回出てきただけで流されるがままだった綾崎ハヤテという少年を「主人公」とする物語は、ここから始まるのかも知れません。