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もやもやが残る『ベイビーステップ』の「終了」

昨日も書きましたが、2017年は読んできたものが「完結」したものが多かった年でした。特に週刊少年誌での「完結」については、きちんと物語を終わらせることができる事の方が少ない(途中で打ち切られることが少なくない)わけで、長年続いてきた作品の「完結」は価値が高いと思います。
さて、週刊連載の中でもトップクラスに好きな『ベイビーステップ』が、今月発売された47巻をもって終了しました。本誌で終了が告知されてから、ずっと「なぜ」と思ってきましたが、結局もやもやしたままです。47巻のあとがきにて、勝木先生が「事情もあり」と書かれていることから、どちらかというと円満終了というよりは、苦戦しての着地というほうが正しいようにも思いますが、それはそれとして、自分の中で『ベイビーステップ』の物語に区切りをつける必要があるだろうとテキストを書いています。
そんな気持ちを読み取っていただけたら幸いです。

エーちゃんのサービスで終わるべき時期ではない

ベイビーステップ』の最終回は、ATP250のアトランタ大会の本戦1回戦でセンターコート、人気急上昇中の相手*1との対戦で、第1セットをまだ1ゲームも取れていないという状況の第4ゲームの最初のサービスで終わります。
このシーンを読み、マガジン本誌掲載時に思い、単行本で読んで改めて感じたことは、「エーちゃんのサービスで物語を締めるならば、このタイミングではなかったのではないか?」ということでした。『ベイビーステップ』という物語は、構造上、基本的に終わろうと思えばいつでも終わらせられるようになっています。その理由は、この作品が持つ「丸尾栄一郎という少年がテニスに出会い、そのテニスに対して自らが立てた目標に向かって一歩一歩進む」という作劇上の大きな軸にあります。「一歩一歩」というのがポイントで、その時点の目標に到達し、次の目標ができればそこで終わらせても大きな違和感は残らないのです。
たとえば、全日本テニス選手権です。エーちゃんは、全日本ジュニアでの敗戦以降もプロをあきらめきれず、「全日本テニス選手権で平均的なプロと遜色がないことを証明する」ことを一時目標にしていました。*2ですので、全日本テニス選手権でタクマに勝ち、ベスト4までいった時点でこの目標は達成したことになりますし、実際にその結果をもって高校卒業と同時にエーちゃんはプロになりました。
この時点で、たとえばグランドスラムなりマスターズなりの場面まで時間をスキップして、エーちゃんにサービスを打たせれば(今回と同じ結末にすれば)、おそらく「プロになってからも読みたかったな〜」と思いながらも、ある程度の納得感と満足感が得られたのではないかと思うのです。なにしろ、タクマに勝ったのです。練習でさえ一度も勝てなかったタクマに勝ったのです。大きな壁だったタクマに勝ったこと、それは『ベイビーステップ』において、とても大きな事でした。勝ったからプロになったのですから。それほどまでに、全日本テニス選手権は大きかった。だからこそ、全日本のあとで今回のような終わらせ方をしたとしても、これほどまでももやもや感はなかったでしょう。
今回は違います。
今回の最終回告知時点は、チャレンジャーで優勝し、「チーム丸尾」を立ち上げたばかりというところでした。しかも、新コーチに対し、短期の目標として「ATP250アトランタへのストレートイン」と、長期の目標として「グランドスラム本戦出場」を掲げたばかり。つまり、ATP250は最終到達点ではありません。現実にATP250本戦に立つことがどれほど難しいかということはもちろんわかりますが、しかし本作においてATP250は通過点に過ぎないはずです。丸尾栄一郎というテニスプレイヤーが目指しているのはグランドスラムであるということは、本人も明言しているではありませんか。
にもかかわらず、ATP250の本戦初戦を前に高校時代のライバル達がこぞってメッセージを送り、エーちゃんがこれまでを振り返るのです。そして、その初戦のサービスで終わる———。
ものすごい不完全燃焼感です。これがせめてATP500だったら、いや、マスターズだったら。それならばまだ納得感があります。繰り返しますが、ATP250の本戦に立つこと、そのこと自体のすごさを否定するつもりはありません。現実に日本人がATP250の本戦にどれだけ立ったのか。実際、日本人でATP250を優勝したのは3人*3にすぎません。すごいことです。ですが、これまで『ベイビーステップ』が積み重ねてきた物語として、ATP250の場に立つことがすごいということと、ATP250が最終回にふさわしい場であるということは、両立しません。
なぜ最終回がATP250アトランタなのか———それは、『ベイビーステップ』の物語のもう1つの柱である、「ナツとの関係の発展」以外の答えしかありません。

ブコメとしては非の打ち所のない終わりだった

ベイビーステップ』の物語の軸の1つとして、「エーちゃんとなっちゃんの恋愛」は欠かすことのできないものです。出会いこそよくありませんでしたが、テニスというスポーツを通じて打ち解け、お互いを思い合い、支え合い、関東ジュニア大会で晴れて恋人になりました。その後もお互いを思いやる、苦手を補完し合って高め合っていく関係が積み重なっていく様子はいじらしく、そして貴重な青春でありました。もっとも、お互いを尊重して高めていったその結果が、ナツがアメリカの大学行きを決めて遠距離恋愛となるということでしたが、2人とも世界を飛び回るテニスプレイヤーになるということならば、それすら大きな障害ではないであろうと思われました。
1年の会えない時間に2人なりの積み重ねがあり、そして最終回の再会に結実するその様は、間違いなく恋愛マンガとしては最高の結末と思います。最後にナツがマーシャと初めて会ったときには、もう正妻の余裕すら感じられます。どんな障害があっても負けない、絆としか言い得ないようなものがエーちゃんとナツにはありました。
「エーちゃんとナツの恋物語」は、間違いなく区切りがついている。そう言い切れると思います。そして、その区切りと『ベイビーステップ』の物語の終わりを一致させるために選ばれた舞台がATP250だったと、そう思えば今回のタイミングに納得がいくのです。
しかし、恋はこの物語の終わりにふさわしいものだったのでしょうか?

これは「完結」ではない

ベイビーステップ』の始まりは、とても地味でした。ずっと壁打ちしている回すらありました。それが、エーちゃんという少年マンガらしからぬ「きまじめ」な主人公によって、1歩ずつ段階を進めてプロまでたどり着くサクセスストーリーになりました。この物語をリアルタイムに読むことができたことには、感謝しかありません。
だからこそ、終わりはふさわしい場であってほしかった。
ベイビーステップ』は、プロにならなかった未来すらあり得た物語です。エーちゃんには、プロをあきらめてナツに帯同する戦略コーチとしての未来すらあり得ました。それが、エーちゃん自身がプロになり、チャレンジャーの優勝まで果たしたのです。
だからこそ、ATP250ではなく、もっと上のレベルの大会で最終回を迎えてほしかった。せめて、公式戦で一度も対戦のなかった池と対戦するか、全日本ベスト4でぼろ負けした門磨との再戦は果たしてほしかった。
それが、ずっと『ベイビーステップ』を読んできた一読者としての素直な気持ちです。
47巻の帯には「完結」と書かれていましたが、「完結」という2文字は到底受け入れられそうにありません。何度読んでも、「俺たちの戦いはこれからだ」という結末としか感じ取れませんでした。それが、とても悲しいです。最近ラブコメばかりになりつつあるマガジン編集部は、もっと考えるべきことがたくさんあると思います。

おわりに

つらつらと批判的な思いを書き連ねてきましたが、『ベイビーステップ』は本当におもしろいマンガです。そして、おもしろい、だけではありませんでした。エーちゃんがテニス素人だったからこそ、あたしたち読者は『ベイビーステップ』を通じてテニスのルールを知り、テニス観戦の楽しさを知ることができました。テニスのランキングについても少し詳しくなることができ、マスターズやグランドスラムの中継を見て、楽しめるようになりました。2014年の錦織圭全米準優勝という、リアルがフィクションを追い抜くような一大トピックがあっても、リアルに裏打ちされたこの物語はなお輝いていました。すばらしい時間でした。

10年という決して短くはない時間、週刊連載という過酷な媒体でテニスマンガの新境地を切り開いてきた勝木先生。本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

*1:どう見てもキリオスにしか見えなかった。オーストラリアだし。

*2:これは正確には、両親が設定した条件ですが。

*3:松岡修造(1992年)、錦織圭(ATP250は2008年の初優勝以来通算11勝)、杉田祐一(2017年)