明日はきっと。

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父親越えという土台づくり

最近の「魔法先生ネギま!」がなんかバトル展開にずっといってしまいそう、みたいな声をよく聞いたり、ラカン編がおもしろくないって声をちらほら聞いたりしたのですが、いやそんなことはないめっちゃおもしろいじゃん!みたいなことを思ってまとめてみるテスト。

ぶれないテーマ

個人的な読み取りの話ですが、あたしはネギま!について、主人公のもつ目標(≒テーマ)にぶれがない物語だと思っています。連載開始当初からネギが掲げていたのは「立派な魔法使い(マギステル・マギ)になる」ということでした。それに加えて、途中から提示されていたのは「父親を捜す」こと*1。その2つの目標がしっかり重なり合ってぶれることなく、「萌え」も「燃え」もその枠内で、でもそうとはあまり感じさせずに描かれてきたように感じています。

ラカン戦は師匠を越える話である

魔法世界編に入って、目標である父・ナギと互角に闘える数少ない存在にして最大のライバルであったラカンを新たなる師として仰ぐことになったネギ。先に師となったエヴァンジェリンが魔術の師であるならば、ラカンはいわば肉弾戦の師と言えるでしょう。
そんなラカンはナギと互角の―――でたらめな強さの持ち主です。ラカンに近づくことは、それは父に近づく一歩とも言えます。正直言ってラカンを越える(≒ナギを越える)というのは無謀もいいとこですが、近づくことはできる。近づくことで、敵であるフェイトと互角に戦うことができる―――そういう思考が暗にあったのではないか、と思います。
そんな師であるラカンと決勝戦で戦うことになったネギ。ネギには負けられない理由がある、でも相手は敵うわけがないラカン。ネギは否応なしに「師匠を越えなければならない」ということをつきつけられていたのです。

そして248時間目


マガジンの20号に掲載された248時間目は、このラカン戦がネギの「2人の師匠」を越える話だったということを象徴するセリフがあります。

ひとつは

エヴァンジェリンのセリフです。エヴァンジェリンの作り上げた闇の魔法の究極形にして、そのエヴァンジェリンでさえ開発を断念したという技法を完成させたネギ。師が断念したものを完成させる――――その点において、ネギはエヴァンジェリンの弟子であり、その点においてはネギはエヴァンジェリンを越えたと言えます。

そしてもうひとつは、もちろんラカンのセリフです。

魔力でも技能でも努力でもなく「開発力」―――。ネギは、開発力というその一点において、ラカンを越えました。ナギと互角の存在であるラカンを越える力を、ネギは手に入れたのです。ひょっとしたら、ナギを越えているかもしれない力を。

ラカンと戦わせることで、ネギはナギを追いかける「資格」を得た

以上を踏まえると、続いてきた大拳闘大会決勝戦におけるラカン戦は、エヴァンジェリンラカンとの修行の集大成であり、そしてナギを越える足がかりを得るものだった、とあたしは思います。そして、そこを乗り越えたことで、ネギは本当の意味でナギを追いかける資格を得たのではないでしょうか。
13巻、麻幌良武道会決勝戦でのナギのセリフ

「お前はお前自身になりな」

を踏まえてみても。
ネギは自分の道を見つけ、そしてその道を歩きながら父を捜す―――その土台作りが、このラカンとの師弟対決だったのではないでしょうか。

*1:父親の背中を追いかけることとほぼイコールです