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アヒルと鴨のコインロッカー

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

アヒルと鴨のコインロッカー (創元推理文庫)

伊坂幸太郎吉川英治文学新人賞受賞作。来年映画化ということで、このタイミングでの文庫化のようです。基本文庫でフォローする側としては嬉しい限り。創元推理文庫なのが少し、意外でした。

<現在>と名付けられた章と<二年前>と名付けられた章。語り手の一人称が突然変わるので最初は驚きました。そこに驚いていると、<現在>で出てくる登場人物と<二年前>で出てくる登場人物は、同じでありながら時の経過とともに、またその間の経験とともに変わっていることを暗に示していく様子を逃してしまう感覚があって、いやあすごいなあ。語り手の違いが年月をさらに際だたせているのかな。あと、カットインを上手に使う作家だなあと思いました。

読み始めたときはミステリだと思っていなかったんですよ。伊坂幸太郎ってミステリ作家だとは思っていないですし。だから創元推理文庫なのが意外に感じたんでしょうけど。でも、読み進んでいくうちにミステリっぽさがどんどん強くなって、読み終わったら「ああ、ミステリだ」というところにまで落ち着きました。ただ、ミステリを書いたってよりは、テーマをうまく消化する方法としてミステリを選んだのかな、という感じ。

<現在>の主人公である「僕」と年齢が近かったり、一人暮らしを始めた時の感覚に覚えがあったりということもあってか、なんだか懐かしさを感じました。

少し、ネタバレしますね。続きからどうぞ。


<現在>の河崎と<二年前>の河崎は別人で、<現在>の河崎が言うところの「隣の隣のアジア人」が<二年前>の主人公の恋人だった、といういわゆる人の入れ替えは、会話が(伊坂作品なので当たり前ですが)軽妙すぎて気づかなかったです。素で「おっ!?」と思いました。最近こういう思いをすることは珍しいので…。
解説にもありましたが、

ペット殺し。嫌な言葉だ。憎々しいからではない。逆だ。彼らの抱える残酷さと傲慢さが、「ペット殺し」と名付けた瞬間に、ひどく表層的で罪の軽いものに感じられるからだ。

という文章が印象的。「ペット」を「殺す」。「動物虐待」でもいいですけど、やっていることの残酷さと言葉受ける感覚との乖離を感じるものは少なくないよな、と考えてみたり。たとえば、ドッグパークの話なんかはかなりセンセーショナルに取り上げられてましたけど、途中から犬たちに行われていた行為よりも、そこに行った愛護団体と管理会社とのもめ事とかのほうに矛先が向いていきましたよね。もちろん「悪いこと」としてたたかれてはいたけれど、少なくともテレビの取り上げる部分はどんどん「人間」対「人間」の構図になっていった。そんな感覚を、この文章から受けました。

それにしても、「僕」が「陽気なギャング」シリーズの響野の妻・祥子さんの甥っ子だったとは。キャラクターをクロスさせるのは伊坂作品の特徴ですが、ほんとに気の抜けない。